昭和大学は今年創立93年となります。当教室は昭和医学専門学校を上條秀介とともに設立した、初期創設メンバーである石井吉五郎教授が主宰し、1928年(昭和3年)5月15日、昭和医学専門学校設立と同時に始まった、古い歴史を持つ教室です。
1928-1957
「僕は内科をやるから君は外科をやらないか」
初代教授 石井 吉五郎 教授
石井教授は昭和大学創立者の上條秀介先生と同級生、学友でありました。在学中から自分の病院を持ちたい、という夢を語り合い、その後教育施設を作ろうという志を持って再開し、東京府荏原郡平塚大字中延に学校を設立しました。
当初の医局員は教授を含めて2名、臨床、研究、教育のすべてを担われました。臨床で診療にあたる傍ら、論文の発表もされています。
やがて太平洋戦争(1941-1945)も始まり、教室員も次々出征、戦時中は巨体を揺らして自ら治療にあたりました。終戦後に戻ってきた医局員は約10名。その後本当の形で教室が形成されていきます。
昭和29年に胃を専門とする村上忠重教授が就任。石井教授は理事長、病院長、学長を歴任、瑞宝章を受けますが、昭和33年に逝去されます。逝去間際の様子は息子である淳一先生が、病床記に記しており、さらに死後石井吉五郎教授の希望により解剖に供され、その所見は現在でも確認することができます。
おもな出来事
…昭和大学に関連する出来事
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1925年
上條秀介、医学専門学校設立の必要を提唱し、石井吉五郎らと同士を募る。学校設立地を東京府荏原郡平塚大字中延に決める
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1928年
昭和医学専門学校附属病院開設。上條秀介(本学創設者)とともに創立に携わった石井吉五郎が外科医局を創設する
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1928年
5月15日 外科医局開設 主任教授:石井吉五郎(東京帝國大学)
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1931年
満州事変
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1932年
5・15事件
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1936年
2・26事件
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1938年
岡田和一郎校長逝去 上条秀介 昭和医学専門学校長に就任。整形外科学教室が分離
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1939年
昭和医学会雑誌創刊
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1941年
太平洋戦争
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1942年
石井吉五郎教授 理事長に就任
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1945年
東京大空襲/終戦
東京府荏原区に空襲 被害受けるが僅少 -
1946年
昭和医科大学認可
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1950年
朝鮮戦争
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1954年
村上忠重教授(東京帝國大学)就任(胃を専門とする)
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1956年
石井吉五郎教授 昭和医科大学病院長
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1957年
国際連合加入
上條秀介逝去
石井吉五郎教授 瑞宝章
石井吉五郎教授 名誉学長に推戴
石井吉五郎教授 逝去
村上忠重教授(第一外科)主任教授就任 -
1961年
日米安全保障条約
石井吉五郎教授の息子石井淳一助教授(名古屋帝國大学)が教授就任、入江邦夫助教授就任(腎・小児外科)
1964-1988
「医療を通じて社会に貢献する医療従事者の養成は
本学の目指す目標であり使命でもあります。」
石井 淳一 教授
石井吉五郎教授の逝去後、しばらくは村上忠重教授が第一外科、石井淳一教授が第二外科学教室を主宰します。村上忠重教授は、その後順天堂大学に転任し、双方の外科学教室を石井淳一教授が主宰されます。
石井淳一教授は名古屋帝國大学卒業後、人工臓器(特に腎臓)の分野で活躍しました。昭和大学着任後は、ご自身の分野のみならず、学外を問わず優秀な人材を集められ、昭和大学外科学教室の基礎を作られます。また、人工臓器学会、臨床外科学会、外科系連合学会など数々の学会を主宰しました。
おもな出来事
…昭和大学に関連する出来事
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1964年
第2外科創設 石井淳一教授主任教授就任
東海道新幹線開通
東京オリンピック
昭和大学に薬学部設置 -
1965年
富士吉田校舎竣工
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1967年
村上忠重教授(第一外科)、順天堂大学へ転任
それに伴い外科学教室を併合統一。石井淳一教授が主宰し主任教授となる。
主任:石井淳一教授 脳神経外科:松井将教授 小児外科・腎外科:入江邦夫助教授 一般消化器:鈴木快輔助教授、胸部心臓:森本和大講師、藤井浩一講師 -
1970年
よど号ハイジャック事件
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1971年
入江邦夫助教授、聖マリアンナ医科大学外科教授に就任
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1972年
第12回日本人工臓器学会主催
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1973年
第1次オイルショック
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1975年
藤が丘病院竣工、開院
鈴木快輔教授、藤が丘病院外科教授に就任 -
1977年
石田正統教授(小児外科・一般外科)教授就任
昭和大学に歯学部設置 -
1979年
石田正統教授退官
小池正教授就任(一般外科・腎外科)
第2次オイルショック -
1981年
村上雅彦教授 入局
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1982年
豊洲病院を本学附属病院として整備、開院
安井昭教授、豊洲病院外科教授に就任
石井淳一教授 昭和大学病院 病院長就任
第44回日本臨床外科医学会総会主催 -
1986年
石井淳一教授昭和大学学長に就任
日本外科系連合学会第11回学術集会主催 -
1987年
岡松孝男教授就任(小児外科)
高場利博教授就任(胸部外科)
石井淳一教授 昭和大学理事長就任 -
1988年
小池正教授 第2外科主任教授就任(一般外科・腎外科)
1988-1993
「赴任前にすべての教室員の名前を覚えておられ、
挨拶をされたときに顔と名前を確認しているようでした。」
小池 正教 教授
小池教授は東京大学卒業後、各病院を歴任された後、石井教授により昭和大学へ招かれました。
消化器・一般外科分野は、村上忠重教授(1949-1967)の後、鈴木快輔助教授(1967-1977 後に藤が丘病院院長)、石井正統教授(1977-1979)を経て、小池正教授に受け継がれました。小池教授は1979年から消化器・一般外科分野の担当教授となり、1988年に主任教授となりました。
またこのころ、昭和大学は分院の整備が行われ、藤が丘病院に鈴木快輔教授(院長)、豊洲病院に安井昭教授、横浜市北部病院に新井一成教授が赴任されています。
小池教授は石井教授のもと積極的な学会活動を行い、臨床では温熱療法の導入などの実績を挙げました。小池教授の主任教授時代は、大所帯となった大きな医局をまとめ上げましたが、赴任当日から医局員全員の名前を覚えて来られたと言われる、小池教授の人柄によるところと言われています。
おもな出来事
…昭和大学に関連する出来事
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1989年
平成に改元/ベルリンの壁崩壊/ 冷戦終結
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1991年
ソ連解体
1993-2009
「二足の草鞋を履きなさい
Academic Surgeonを目指しなさい」
草野 満夫 教授
草野満夫教授は北海道大学卒業後、旭川医科大学から当院の教授となりました。
このときに外科学講座は胸部外科を第1外科、消化器外科・一般外科・乳腺外科・小児外科を第2外科と呼称するようになり、第1外科を高場教授、第2外科を草野教授が主宰することになりました。草野教授は肝臓外科を専門とされ、臨床外科学会のほか、汎太平洋外科学会、アジア太平洋内分泌学会などの国際学会も主宰、教室員を次々と海外留学へ送り出しました。
また研究も熱心であり、ICG蛍光法に関しては世界に先駆けて当教室で草野教授、青木講師(当時)が発表し、現在では当教室のお家芸となっています。
おもな出来事
…昭和大学に関連する出来事
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1993年
草野満夫教授第2外科主任教授就任(肝臓外科)
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1995年
阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件
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1996年
外科学講座が2講座制となる(第一外科:高場利博教授 第二外科:草野満夫教授
村上雅彦教授、初のVATS-E -
1997年
昭和大学病院中央棟 竣工
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1998年
汎太平洋外科学会(サイパン)主催
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1999年
アジア太平洋内分泌学会主催
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2001年
横浜市北部病院開院
新井一成横浜市北部病院教授(外科)就任
第69回臨床外科学会総会主催 -
2008年
ICG蛍光法論文発表(草野教授、青木武士講師(当時))
2009-2020
「日本一を、目指す」
村上 雅彦 教授
村上雅彦教授は外科学講座初の昭和大学出身の教授であり、もとは肝臓外科を専門としていましたが、食道がんに対する胸腔鏡下手術を1996年に成功させ、その後爆発的に症例数を増加、胸腔鏡下食道亜全摘術(VATS-E)を確立されました。いわゆるゴッドハンドとして手術、研究とすべての分野に対してリーダーシップを発揮され、精力的に指導を行い、日本一を目指して奮闘されました。
おもな出来事
…昭和大学に関連する出来事
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2009年
村上雅彦教授 消化器・一般外科主任教授就任
青木武士教授医局長就任 -
2011年
東日本大震災
青木武士教授 カールストルツ賞 -
2014年
青木武士教授 Best Doctor受賞
江東豊洲病院開院
新井一成教授院長就任 -
2018年
食道外科開設 村上雅彦教授、診療科長就任
青木武士教授 消化器・一般外科診療科長就任
古泉友丈講師 医局長(診療科長補佐)就任 -
2020年
腎移植センター開設 吉武理准教授 センター長就任
新型コロナウイルス感染拡大 東京五輪 延期
2021-
青木 武士 教授
2021年コロナ禍の中、2人目の昭和大学出身教授が誕生しました。
青木武士教授は草野教授時代の最初の入局者で、草野教授とともにICG蛍光法をはじめ、肝胆膵分野の手術および研究に邁進してきました。その後村上教授の下で肝胆膵分野の責任者として長年指導を行ってこられました。
青木教授の下、当教室は一丸となって患者さんのために奮闘していきますので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
おもな出来事
…昭和大学に関連する出来事
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2021年
青木武士教授 消化器・一般外科主任教授就任
青木武士教授 昭和大学病院副院長就任
青木武士教授 統括外科学講座責任者就任
榎並延太准教授、横浜市北部病院准教授就任
渡辺誠准教授、昭和大学病院准教授就任